2019年の5月の話なので、この話を書いている2021年の11月だともう2年以上経っていて感情や気持ちの整理もできているので、俺が以前の勤め先から逃げた話をそろそろまとめたいと思う。「逃げるは恥だが役に立つ」ではないけれど、追い詰められている誰かが、会社から逃げるきっかけの一つにでもなってほしいと思っている。
「逃げた」理由
最大の理由はパワハラ、モラハラ、ついで激務。こういうのがなければ多分残っていたと思うけれど、残れないくらいキツかったので逃げることを選んだ。家族の事情とかもあったけれど、それは大したことないかな。
激務の話
2018年の夏頃から猛烈な激務になってしまった。新しいプロジェクトが始まって毎日深夜残業で、帰宅は日付が変わってから、遅いと終電もなくして社用車で帰宅みたいな日々を続けて体力的に少し参った。
展示会も重なって、20連勤以上、月の残業100時間みたいな絵に描いたような激務で、社長に「休みください」と頼んで一蹴された。2018年の秋頃だったと思うんだけれど、その頃に少しだけ「もういいかな」と思い始めた。
2年に1度の展示会のシーズンに20連勤残業100時間とかを毎回やるので「この仕事もうやりたくないな」とも思っていた。
パワハラの話
俺自身も被害者といえば被害者だったかもしれないんだけれど、俺はそこまでじゃなくて、後輩がものすごいパワハラの被害者だった。後輩を守ってやれなかった自分自身が情けないし、不甲斐ないのは言い訳の一つもできない。
後輩は2019年の1月に会社を辞めたんだけれど、パワハラとして十分としか思わないようなことをされて、そういうのを見ているうちになんか怖くなっちゃったんですよね。後輩は録音のデータがあるらしいけれど、それを提示されて裁判されたら絶対に会社が負けると思う。タイムカードだけでも負けると思う。
- 明け方(4時とか5時)まで説教
- 曖昧な指示とかあやふやな指示を出しておいてできないことを怒鳴る
- 「お前の仕事はオナニーだ」とか「お前はクソだ」とかそういう風な感じで周囲に人がいる中でも罵倒を延々と繰り返す
- 後輩をカラオケに連れて行き全裸で歌わせて動画撮影、ラインで拡散
- そういうのを延々と、延々と、人間が一人ぶっ壊れるまで繰り返す
2019年の1月に後輩が辞めたら、今度は俺のところに矛先が向いてしまって、メールやらなんやらでちくちく言われているうちに「俺も後輩みたいになるのかなぁ」というのはなんとなく感じていた。
ある日社長、人事、マネージャーとかに向けて「飯食ってる態度も気に入らない」「飲み会の態度も気に入らない」「何もかも気に入らない」というようなメールが入っているのを見て「もういっかな」と思って、しばらくして会社行けなくなってしまった。
5月20日頃から休職し始めたんだけれど、GW明けからはそんな感じのメールが増えていって、会社のメールも見れなくなってしまったんだよね。
先輩が一度だけ「パワハラ先輩は黙らせろ!」みたいな感じで援護してくれたんだけれど、結局誰一人としてパワハラ先輩を黙らせることはできなかったし、最終的な会社の決断は「パワハラ先輩は会社に必要な人!」だったので、まぁしょうがないよね。
家族の話
2018年の秋頃に妻が妊娠して、つわりが酷くて上の子の面倒もろくに見れないので俺が出先から18時頃に帰宅、上の子に晩飯食わせて、風呂入れて、20時頃に家を出て21時から25時まで仕事して帰る、みたいなこともやっていた。そんくらいの激務。
「このままこんな働きかたしていたら、家庭崩壊するな」と思い始めたのもその頃。子供が病気で熱を出して俺が会社休みでも、妻の帰宅後に夜中に出社とか、子供が寝ているうちに電話とかメールを返したり、休みでも休みじゃないみたいな感じ。
妊娠中の妻に時々朝会うと、大体文句言われていた。
「逃げた」話
2019年の1月頃からのそのそ転職活動を始めて、2019年の3月に俺にパワハラの矛先が向いた瞬間に「やばい」と思って一気に書類を仕立てて転職活動を開始した。「何もかも気に入らない」みたいなメールが5月の連休前後に入っていたと思うんだけれど、その頃には数社と最終面接まで進んでいて内定一歩手前の会社が三社ほどあった。
5月の末ごろには会社に行くことができなくなってしまい「お休みをください」と上司に進言して休みをもらい、精神科にいって「適応障害」で診断書書いてもらって休職した。
当時進めていた大型の案件がいくつもあったけれど、それらも適当な引き継ぎ書を書いて全部丸投げ、その後どうなったのかさえ知らない。会社からは完全に「逃げた」形で、世話になった取引先への挨拶、引継ぎ、そういうのは何も行わずに、5月末に休職して、7月末に退職、8月1日から新しい会社へと移っていった。
逃げていてよかった
こんな感じで勤め先から逃げ出したけれど「逃げてよかった」と今は思っている。あの時逃げ出していなかったら、今頃はうつ病で再起不能か、自殺してこの世にもういないかの、どっちかだったと思う。二人の子供にも妻にも、両親にも悲しい思いをさせていただろうと思う。
会社から逃げ出したけれど、休職していることを説明して採用してくれた会社にその後半年ほど世話になった。その会社でも嫌がらせにあってさっさと辞めてしまうんだけれど、どちらかというと逃げ出したというよりは「損切り」の方がしっくりくる表現だと思う。
総じてまとめると「手遅れになる前に逃げ出してよかった」なんである。
休職しても逃げ出してもなんとかなる
俺は精神科に通って診断書もらって、休職して、会社から逃げ出して2年ほどたつけれど、今は元気に働いている。今の会社に入る時の面接では、休職して辞めた経緯なんかは話していないので、俺が過去に病んで休職したのを知っている人はいないと思う。
嫌になったからってホイホイ逃げ出していたんじゃなんともならないんだけれど、「もう少し頑張ろう」の先がなくなって「嫌だな」と思ったら逃げ出すのは必要なことだと思うし、長い人生を考えての戦略的撤退という見方もできると思う。
俺が休むときにも他人の休職エントリーに助けられた
俺が休むときにも他人の休職エントリーに助けられたんで、誰も読んでいない俺のブログでも、もしかしたら誰かの休職の手助けができて、誰かの人生を救えるかも知れないと思い結びとしたい。
終わり