ちょっと、俺

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JIMTOFの思い出

西暦が偶数なので今年はJIMTOF (工作機械の国際見本市)が東京ビッグサイトで開催される。

俺は前に勤めていた会社が工作機械の会社だったのでJIMTOFには毎回出展していた。思い出といえば「2度とやりたくない」と毎回思うくらいの激務で、激務で、激務だったことくらいしかない。「ここらへんで後遺障害が出ないで3ヶ月くらい入院するような交通事故起こしたい」と、車を運転するたびにいつも思っていたくらいには激務だった。後で調べたらそういう考え方をするのってうつ病に片足を突っ込んでいる状態らしいので、そんなに追い詰めてまでやる意味のあるイベントだったのか、俺にとっては心底謎。

10月と11月の残業は毎月90時間越え、休みもなく20連勤とかになり、後半は全員ゾンビのようになって、最終日のお疲れ会でも険悪な雰囲気がなくならないくらいにみんなして疲れているという最低なイベントだった。一度社長に「会期中に1日でいいから休みか遅番と早番の日を作ってください」と直談判したら「金のかかってるイベントだから一所懸命やれ、休むな!」って一蹴され、幻滅したのはよく覚えている。今年も間も無くその地獄が開幕する。あれをやらないでいいというだけで転職した価値があるというくらいには地獄。

これは俺が最後に参加した2018年のJIMTOFの思い出。

これはその前に参加した2016年のJIMTOFの思い出。 

同業他社の人に「JIMTOF期間中は激務で死ねる」みたいな話をしたら「うちは社長の方針で会期中は1日以上の休みと1日以上の会場を見て回る日、早番と遅番の選択になりました」って言われて「同業他社でもできるのにうちではできない意味がわからない」という感想しか持てなかった。名古屋と大阪の支店の人は、会期にも全て参加しないで途中参加して途中で帰って行っていたので、東京の人だけがそれをできない意味も俺は全然わからなかった。

ちなみにJIMTOF期間中に新人は飯を食うと怒られるという意味のわからない風習もあった。曰く「みんな働いているんだから飯なんて食ってんじゃねぇよ」らしい。直属の後輩ができると飯を食ったら怒るという風習だったんだけれど、馬鹿らしいので俺は一度も怒らなかった。代わりに先輩が後輩を怒っていた、俺は相変わらずその意味がわからなかったし「飯は食える時に食っておく」という考えで、この辺は組織の風土とは最後まで相入れなかった。

今は社長も代替わりしたので、もしかしたら会期中に休みを設定されてるかもしれないし、相変わらず休みもなく馬車馬のように働いているのかもしれない。とりあえず、俺はもうあれをやらないでいいというだけで本当に嬉しい。

終わり