こんにちは。
中二病こじらせていたころ、「頑張る」とか「努力」とか全否定していた時期、僕にもあった。
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ちょっとだけ話題を変えよう。
「中二病」って一発変換できるのに、すげぇ驚いた。
ウィンドウズを使っているんだけれど、ウィンドウズの語彙力の伸びがすげぇ。
・範馬刃牙
・中二病
・千代の富士貢
・キムタク
これらすべて、一発で変換できるんだぜ。「やいばきば」って書かないでも、刃牙って出るんだぜ!すげっ!
僕がウィンドウズを使い始めた、20年くらい前、こんなことは考えられなかった。
変なことで技術の進歩と時代を感じた。
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さて、中二病をこじらせた僕も頑張りや努力は全否定していた。
頑張らないことがかっこいいし、努力もダサい。
人に頑張っている姿を見せずに、さらりとやってのける。
けれど、見えないところで結構努力している。
これがかっこいいと思っている時代があった。
今でもそう思っている。
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大学生のころ、人よりも結構頑張ったことがあった。その頑張りは結構いろいろアピールした、というか、アピールしないとやってられなかった。
何が起きたか?
頑張ってる姿に感化されて、なぜか応援してくれる人がたくさん自分の身の回りにあらわれた。いろいろなチャンスが降ってきたし、湧いて出てきた。自分からも、積極的にいろいろな人と交流した。
一番印象深いのは、「日本人でこんなことやってるのお前以外いないから、奨学金出るよ」といった某国の政府関係者で、結果その国から奨学金をもらって一年間遊びに行っていた。ほかにもいろいろなイベントに誘われたり、いろいろなチャンスが巡ってきたり、結構いい思いができた。
その時に、頑張るのも悪くないと思った。
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中二病こじらせていつもクールに決めてるのもいいと思うんだ。
でもね、頑張ってる姿って誰かが必ずどこかで見ているし、必ず誰かがどこかで評価してくれているんだよ。そして、その頑張りに報いる何かが、必ず自分の身に報酬とか体験として返ってくる。
「自分では結構頑張っているのに、だれからも評価されない」と嘆いている人なんて結構いると思う。でも、頑張っている自分を必ず見てくれている人がいる、評価してくれているというのを、経験的に知っているので、僕はほかの人よりも少しだけ頑張れる。
サラリーマンでも、頑張っても評価されない人ってごまんといると思う。社内政治のうまい人が出世して、地道に頑張ってる人はなかなか評価されなかったり、なぜか八つ当たりの対象になったりね。
実際、僕も、前の会社にいたときはそうだったし、今の会社でもそういう傾向が出る時が時々ある。虫の居所の悪い上司に会社に行けば怒鳴られたりしていたし、失敗したら公開処刑を食らっていた。
頼まれてもいないことをなんでやってないんだと怒鳴られるとか、上司の行きたくない仕事をなぜか僕がやるとか、ふつー。
自分なりには結構頑張っているつもりだった。
会社を辞めるというときになって、会社は簡単にやめられたんだけれど、取引先から「うちに来ないか?」と誘われたりしたとき、やっぱり見てくれてる人っているんだと思った。
その話は勤務地の都合などもあり、丁重にお断りしたんだけれどね。
頑張りは常に見てくれている人がどこかにいる。
クールに決めるのもいいんだけれど、たまには汗を流したりして、頑張ろうぜ。
という話。
おしまい